PAPEPONS.COM

世の中のいろいろな流行り・ できごとを伝えていきます。

*

巨人V9,打線・投手・シーズン成績を振り返るその2。

      2019/12/02

Pocket
LINEで送る

巨人はV9の内最初の3年間は2位とのゲーム差を10ゲーム差以上をつ

ける圧勝でしたが、V4以降は最高で6.5ゲーム差と10ゲーム以上のゲ

ーム差を着けての優勝はできませんでした。

 

2位に10ゲーム以上の差を着ける事自体はもちろん至難の業で、優勝

自体が本来は難しい事なので優勝そのものを続ける・・・まさにV9が

称賛されるわけですが、人によってはV9巨人が10ゲーム差以上の優勝

回数3回というのは意外に少ないと感じる人もいるかもしれません。

 

V4以降に10ゲーム差を着ける事が出来なくなったのには何か理由があ

るのでしょうか?

広告

V4以降大洋との対戦成績がほぼ5分に・・・。

 

 中日 阪神 大洋 広島 ヤクルト 
年度巨人戦順位巨人戦順位巨人戦順位巨人戦順位巨人戦順位
196517-11216-11-1320-8417-10-1521-76
196620-6219-7321-5514-12-2315-11-25
196712-14214-12-3317-9418-8-1623-35
196817-9-1614-12214-12515-11-1317-9-24
196917-8-1413-11-2213-11-2316-10614-11-15
197017-8-1512-13-1211-14-1318-7-1421-56
197115-11212-10-4512-11-3315-10-1416-106
197211-15316-8-2213-13517-8-1617-8-14
197310-16313-11-2212-13-1515-10-1616-104

*ヤクルトはサンケイ・アトムズ時代を含む。

 

この表は巨人V9時の各球団の対戦成績で巨人側の視点で見ています。

右側の数字は対戦相手のその年の順位となっています。ここで注目す

るところは大洋との対戦成績で、1965年~1967年までの3年間は大

洋をカモにしておりこの3年間は10ゲーム以上の差で優勝しているの

ですが、1968年以降は勝ち越すことができても貯金をあまり増やす

事ができなくなってしまっており、それに伴い巨人は1968年以降独

走での優勝ができなくなってしまいました。

 

何が原因かはわかりませんが、大洋は巨人を倒す秘策でも見つけたの

でしょうか?ただ大洋の順位を見てみると3位と5位が3回ずつとなっ

ており、巨人戦に集中した結果他との対戦がおろそかになってしまっ

た可能性も考えられます。

 

大洋が横浜にチームの名前を改称した1993年は巨人戦には互角の勝

負をしたものの、この年優勝したヤクルトには4勝22敗と完璧にや

られてしまっている所を見ると他のチームもそうなのかもしれませ

んが、特に大洋系統は巨人戦には特別な意識を持っていたのかもし

れません。

広告

月別の勝敗はどうだったのか?

では巨人の月別の勝敗はどうだったのでしょうか?

年度4月5月6月7月8月9月10月
19659-6-112-913-511-8-115-914-417-6
19669-813-5-114-5-218-517-915-9-13-0
19679-417-410-8-210-820-511-10-17-7-1
19687-7-114-312-1211-5-19-10-215-109-6
19697-611-9-113-6-18-5-113-11-213-7-18-7
19707-3-212-8-113-6-110-612-1012-913-5
197112-213-9-114-11-312-8-310-13-19-70-2
19727-615-8-114-106-8-118-109-6-15-4-1
19736-711-1310-910-8-213-10-112-74-6-1
73-49-4118-68-5113-72-996-61-9127-87-6110-69-466-43-3

 

V9時代のシーズンはすべて4月から10月までの期間で行われており、

巨人のこの間の月別勝敗を見てみると、1965年~1970年までの6

年間で5分の記録を含め負け越しがなしという途方もない偉業をなし

遂げています。

 

1971年8月に10勝13敗1分と負け越すまで実に40ヶ月連続負け越し

なしという圧巻の記録となっています。相対的に見た場合10月の勝

率がやや低いのですが、これは優勝を決めた後なので主力選手を出

さなかった事が要因と思われます。負け越しが2回あるのもそのあた

りが原因なのでしょう。

 

1973年は2ヵ月連続で負け越しているのですが、これは1973年シー

ズン開始前に逝去した湯口敏彦投手の件で世間からバッシングを受

けたことが影響していたのかもしれません。

その1はこちら・・・。

 

広告

Pocket
LINEで送る

 - 野球