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村上宗隆内野手ホームラン10代記録。中西太氏の成績とリーグ間の比較。

      2019/09/17

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村上宗隆が高卒2年目以内の最多本塁打の本塁打記録を塗り替えよう

としているのですが、この記録にはどのような意味があるのでしょう

か?

 

1953年パと2019年セを比較する。

1953年のプロ2年目に中西太氏が記録した高卒2年目以内の最多本塁

打数36本を村上宗隆が35本目を打ったことにより記録更新が期待され

ています。そこで中西太氏が記録した1953年当時のパ・リーグを見て

いきます。

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1953年のパ・リーグは7球団が参戦しており、120試合制でリーグ打

率は.247、本塁打は386本でチーム平均で55.14本でした。中西太氏

は本塁打を36本打っていますが、当時大映ユニオンズはチーム本塁

打は30本で近鉄パールズは31本と中西太氏1人にも及ばない本塁打

数でした。

 

そして中西太氏が在籍していた西鉄ライオンズはも114本でリーグ平

均を押し上げてしまっているのです。つまり1953年当時は本塁打環

境が極めて悪い状況下での中西太氏の36本なのでその価値はかなり

特殊なものと言えます。

 

では村上宗隆がいる2019年のセ・リーグのリーグ環境はどうなので

しょうか?9月15日地点でヤクルトは135試合を消化しており、全日

程が終了していないのでチームごとに消化試合数が違うのですが、リ

ーグ打率は.253、本塁打は788本です。

 

打率は1953年時と似たような環境ですが、本塁打の数は中西太氏が

いた1953年のパ・リーグと比べると2019年のセ・リーグは倍以上

の本塁打数が出ています。しかも中西太氏は120試合全部出場して

いますが、村上宗隆も135試合全試合出場しており、今後残りの試

合全部に出場したら、村上宗隆は23試合も多く試合に出ていること

となり、リーグ環境や試合数を比較しても10代の本塁打数だけで比

較するのが意味がなくなってしまうぐらい中西太氏のすごさが際立

ちます。

 

純粋に長打を見る指標にISOというのがあり、長打率から打率を引い

た数字を指すのですが(仮に10打数3安打で安打がすべて単打だった

場合はISOは.000になる)、2019年のセ・リーグはISOが.142です

が1953年のパ・リーグはISOが.098と.054の大きな差があるのです

。打率は7厘差ですがISOだと5分4厘という差を考えてもいかに195

3年のパ・リーグは長打が出にくい環境だったかがわかります。中西

太氏は恐ろしいという話です。

 

中西太氏のISOは.305で村上宗隆が9月15日地点で.254です。

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それでも村上宗隆はすごい。

とまあ、中西太氏の当時のリーグ環境を比較したうえで村上宗隆の記

録をの価値について書いてみましたが、それでも村上宗隆がすごい事

には変わりはありません。単純な話としてどのような環境下であれ1

0代で30本以上を打つ人間自体が限られているわけで、それを実行す

る村上宗隆がすごくないはずはないのです。

 

リーグ環境に関していえば2019年のセ・リーグは6球団なのに対し

て1953年のパ・リーグは7球団と1チーム多いわけで1チーム多けれ

ばそれだけ選手層は薄まりますから、選手の質は下がります。

 

もう一つは野球レベルでしょうか。1954年に巨人に入団した広岡

達朗氏の話として、当時はプロのレベルは6大学野球よりもレベル

が低いと言われていたという説があり、プロ入り当初は「いくら何

でも6大学よるりレベルが下という事はないだろう」と否定的な考

えだったそうですが、自身がプロ1年目で3割を打った事で早稲田

大学時代の自分の通算打率が2割程度だったとし、6大学よりもプ

ロのレベルが低いという見方に納得感があったと振り返っていま

した。

 

あくまでも広岡達朗氏の当時の見解でありまた別の意見もあるので

しょうが、少なくとも村上宗隆がいる2019年はいろいろとプロと

しての技術だけではなく、全てにおいてシステムが確立されている

わけで、いくら当時に比べ長打が出やすい環境とは言えども、19歳

が簡単にプロで本塁打を打てる環境でない事は明らかです。

 

大事なのは記録というものに関してどのような意味を持つのかとい

う事で、そういう意味で当時を振り返ってみました。こういうたぐ

いの話に正解はないわけで、だからこそいつまでも議論となりそれ

が面白かったりするわけですが。

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 - 野球