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阪神のドラフト1位安達智次郎さんが死去。松井秀喜氏の外れ1位で入団

      2016/01/08

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安達智次郎さんが1月7日午前1時49分、内臓疾患のため神戸市の病院で亡く

なられました、41歳でした。葬儀と告別式は近親者と知人のみで行うとしてい

ます。

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安達智次郎さんはどんな方なのか

安達智次郎氏は1974年8月21日生まれで、兵庫県神戸市長田区出身。

神戸村野工業高等学校へ入学し、1991年の夏と1992年の春にエース

として甲子園に出場するも初戦で敗退します。ちなみに高校時代のチ

ームメイトに黒田哲史がいます。

1992年のドラフトでは松井秀喜氏の外れ1位として阪神に指名され入団

します。

阪神の1992年ドラフト指名選手一覧

1位   投手      神戸村野工業高

2位  竹内昌也   投手      NTT東北

3位  米村和樹     投手      熊本商科大学付属高

4位  片山大樹     捕手      徳山商業高

5位  山本幸正     投手      堀越高

6位  塩谷和彦     捕手      神港学園神港高

7位  山下和輝     外野手   プリンスホテル

8位  豊原哲也       外野手   小倉東高

adachi-hagiwara左がさん。右が萩原誠さん。

 

1994と1996年にはデトロイト・タイガースのリーキーリーグに

所属しており2年間で45イニング3分の2を投げ防御率は5.32で奪

三振が31で与四球は22でした。勝敗は2勝4敗となっています。

1995年から1996年までの登録名は安達克哉としていました。

1998年は野手に転向するものの1999年には再び投手に転向。

しかし1軍での登板は果たせず引退する事になりました。

 

安達智次郎が考えるプロで活躍できなかった理由

安達智次郎さんはプロで活躍できなかった理由をこう考えているよう

でした。

「最初のコーチとの出会いがすべてを狂わせた」

としています。

「入団してすぐ付いたコーチがコントールを重視する人で、『投

手は速い球放ったらええやん』という僕とはまったく考え方が違

った。言われるまま投げるうちにフォームは小さくなり、スピード

も出なくなった。自分のピッチングが小さくまとめられるようで、

嫌で嫌で仕方なかった」

以上。現代ビジネスソース。

コーチの考え方が合わずにプロで活躍できなくなる選手はいると

は聞きますが、安達さんもその1人だったのでしょうか?1年目の夏

に1軍に昇格予定があったそうですが、上に書いたコーチが1軍昇

格を拒否したそうです。理由はそのコーチが納得でるまで離したく

なかったらという理由でした。この時の事を安達さんは「阪神に入

ったのをこの時ばかりは後悔した」と語っています。

もちろん、プロで活躍する以上は自分で這い上がるしかないのです

が、仮に活躍できなかったとしても後悔せずにやめられるぐらいの

事をしないと後の人生にも影響するのかもしれません。

 

 

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引退後の安達智次郎さん

引退後は2003年まで打撃投手を務めていましたが、その後は焼酎Bar

「RocketBall」を経営していました。さらに少年野球の指導にも力を

入れていたようです。

当時のインタビューでは

とにかく子供たちががんばっている姿をみると僕は泣きそうになるぐらい

感動してしまう。高校時代に甲子園に出場したすばらしさも伝えたいし、

プロでの失敗の経験も話したい。チームのコーチ陣には子供たちが迷わな

いように指導することを徹底しています。

はっきりいって、野球に関しては現役時代より熱い。自分のことじゃ

ない。人様の子供さんのことですから。僕は漫画を読むのも机に座って背

筋を伸ばして読む タイプですからね。甲子園なんてどうせ出られん、では

なく絶対出なさいと言っています。甲子園目指したというだけで、一生酒

が飲めるわけですから。

以上。夕刊フジソース。

どうやら少年野球の指導に関しては、こだわりがあるようですね。本人は甲子園

に出場しましたが、心の中では甲子園に出場する事への問題点や疑念などが感じら

れるコメントとも取れます。

年齢的にはこれからだっただけにご冥福を申し上げます。

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